AI音声クローン詐欺によって、イタリア最大の銀行傘下のプライベートバンクから約9500万ユーロが流出しました。2026年2月、その銀行の会長のもとに、グループCEOからと見えるWhatsAppメッセージが届きます。至急の海外取引があり、親会社は直接対応できない。力を貸してもらえないか、という内容でした。続いて、大手法律事務所の著名な弁護士から電話があり、取引を裏付けました。会長はその声に聞き覚えがありました。
メッセージは偽物でした。弁護士の声は、人工知能で生成されたものでした。
これは、ロイターが2026年9月25日に報じた事件です。詐欺グループはイタリア最大の銀行、インテーザ・サンパオロ(Intesa Sanpaolo)のCEOであるカルロ・メッシーナ(Carlo Messina)氏になりすまし、グループのプライベートバンキング部門Fideuramから資金を送金させました。私は本人確認のためのツールを仕事として作っていますが、私たちが取り組んでいる問題をこれほど端的に示す実例は見たことがありません。ハッキングされたものは何もありません。信頼されていた2人の声が複製され、被害者が行えるあらゆる確認が「問題なし」を示したのです。
Fideuramで何が起きたのか
ロイターが事情に詳しい関係者の話として伝えたところによると、事の発端は2026年2月です。当時Fideuramの会長だったパオロ・モレジーニ(Paolo Molesini)氏のもとに、メッシーナ氏から送られたように見えるWhatsAppメッセージが届き、海外取引への緊急の協力を求められました。その後の電話では、AIを使って大手法律事務所のシニアパートナーの声が再現され、この依頼が裏付けられました。
報道されている主な事実は次のとおりです。
- 約9500万ユーロが、主に中国と香港の海外口座へ送金された。
- 約5300万ユーロが回収された。中国、ポルトガル、イタリアの当局の連携による。
- 約3600万ユーロは依然として行方不明。海外口座のネットワークを経由したのち、暗号資産に換えられた。
- ミラノ検察が、欧州域外に住む外国籍の人物を捜査している。容疑はコンピューター詐欺。Fideuramの幹部は捜査対象になっていない。
- モレジーニ氏は2026年3月、一身上の理由で辞任した。インテーザ・サンパオロとFideuramはロイターへのコメントを控えている。
イタリア紙イル・ジョルナーレ(il Giornale)は、詐欺グループが法律事務所を装ったメールも送っていたこと、また中国で4000万ユーロ超が回収され、ポルトガルで1300万ユーロが差し押さえられたことを付け加えています。
AI音声クローン詐欺の手口:4つのステップ
見出しの派手さを取り除けば、これは典型的なCEO詐欺(経営者になりすまして送金させる、いわゆる「社長詐欺」)に、最新の技術をひとつ足しただけのものです。
- 権威。 最初のメッセージは、グループで最も上位の人物から届いた。子会社の会長が、グループCEOを問いただすことはまずない。
- 筋書き。 親会社が自ら実行できない、緊急かつ極秘の海外案件。緊急性は考える時間を奪い、秘密性は同僚を蚊帳の外に置く。
- 裏付け。 ここが最も巧妙な点だ。詐欺グループは、ただ信じてくれとは言わなかった。一見独立した2つ目の情報源を用意したのだ。著名な弁護士からの、会長に聞き覚えのある声での電話。さらに、その事務所らしい体裁のメールまで添えて。本来なら詐欺を止めるはずの確認のステップそのものが、偽造されていた。
- 送金。 海外口座へ送金され、さらに複数の口座を経て暗号資産に換えられる。そこから先の追跡は急速に難しくなる。
攻撃者に必要なかったものに注目してください。マルウェアも、侵入されたサーバーも、盗まれたパスワードもありません。お金が動いたのは、権限を持つ人が「この指示は本物だ」と信じ込まされたからです。
なぜベテランの銀行家がだまされたのか
こうした記事を読むと、「自分なら気づいたはずだ」と思いたくなります。しかし、ほとんど誰も気づきません。その理由は個人の資質ではなく、構造にあります。
音声のクローンは、私たちの多くが無意識に頼っている確認を打ち破ります。「この声なら知っている」という確認です。いまや音声クローンに必要なのは短い音声サンプルだけです。そして企業の経営者や著名な弁護士は、ポッドキャストや講演、決算説明会などで人前で話しています。彼らの声は、ネット上にあるのです。
イタリアは以前にも同じパターンを経験しています。ロイターが振り返っているように、2025年には詐欺グループがイタリア政府の閣僚の声をAIで複製して経営者たちに金銭を求め、実業家のマッシモ・モラッティ(Massimo Moratti)氏が約100万ユーロを送金しました。2024年には、エンジニアリング会社アラップ(Arup)の香港拠点の社員が、CFOや同僚に見える人々とビデオ会議に参加しましたが、全員がディープフェイクで、約2560万米ドルが会社から流出しました(CNN。アラップ事件の概要もあわせてご覧ください)。
事件が起きるたびに、証拠がひとつずつ意味を失っていきます。「本人の番号から来た」はまず通用しなくなりました。「本人の声を聞いた」も、もう通用しません。「ビデオ会議で本人の顔を見た」も通用しなくなりつつあります。Fideuramの事件は、そこに新たな一項目を加えました。「弁護士が確認した」です。攻撃者が確認のプロセスまで握っているなら、確認は何も証明しません。
これはハッキングではない。その違いが予算の使い方を左右する
見出しはこれを「ハッキング」と呼ぶでしょう。しかし、そうではありません。そしてこの違いが、どこにお金をかけるべきかを決めます。ファイアウォール、エンドポイントセキュリティ、メールフィルタリングは、いずれもシステムを守るものです。今回の攻撃は、それらすべてを迂回し、支払い権限を持つ人を直接狙いました。しかも使われたのは、そもそも支払い指示が流れるべきではない経路、つまりメッセージアプリと電話でした。
自社の不正対策が「支払い指示は決済システムを通じて届く」という前提に立っているなら、Fideuramの事件は警告です。本当の指示は、いまやWhatsAppのチャットに届くのです。
この連鎖を断ち切る確認プロトコル
解決策は「もっと注意すること」ではありません。注意とは気分のようなもので、プロの詐欺師は人の気分を変えるのが得意です。必要なのは、落ち着いた火曜日でも、慌ただしい金曜日でも、同じように機能する機械的な手順です。
- 依頼者が指定した経路で確認しない。 「CEO」が段取りした「弁護士」からの電話は、同じ攻撃の一部です。いったん電話を切り、自分の記録にある番号にかけ直してください。
- 連鎖の外にいる、独立した第二承認者を置く。 高額または通常と異なる送金には、依頼者から連絡を受けておらず、「ノー」と言える第二の担当者の承認を必須にします。
- グループCEOも例外にしない。 依頼者の肩書きが高いほど、確認は厳しくする。これをトップ自らの常設指示にします。
- 緊急、秘密、新しい海外口座の3つがそろったら止まる。 どれかひとつなら普通のこともあります。3つそろえば、この記事で取り上げたほぼすべての事件にあてはまります。
- 新しい送金先への初回支払いは保留する。 初めての海外送金に短い保留期間を設けても、コストはわずかです。それだけで、誰かがひとつ質問する時間が生まれます。
- 本人確認の方法を事前に決めておく。 支払いを指示する可能性のある幹部同士は、クローン音声では再現できない本人確認の方法を共有しておくべきです。決めるのは対面で。確認対象となる経路の上で決めてはいけません。
同じ考え方は家族にも使えます。家族の間で合言葉を対面で決めておけば、「家族」を名乗る助けを求める電話に、確認のひと手間を加えられます。大切なのは、確認の方法を前もって決め、なりすましに使われているかもしれない経路の外で決めておくことです。
すでに送金してしまった場合
Fideuramの数字には、希望の持てる教訓もあります。資金の半分以上が戻ってきたのは、銀行、検察、そして複数の国の当局が一緒に動いたからです。スピードがすべてです。すぐに取引銀行の不正対応窓口に電話し、送金の組戻しと受取銀行への連絡を依頼してください。当日中に警察に届け出てください。メッセージ、通話履歴、メールのヘッダーはすべて保存しておきます。そして、被害者を責めないこと。責任を問われるのを恐れる人はミスを隠します。隠されている時間こそ、資金の回収にとって最も惜しい時間なのです。
確認すべきは経路ではなく、人
ここまでの対策はどれも、ひとつの欠けたピースを補うためのものです。電話で話している2人は、自分が誰なのかを互いに証明できません。組織の中では、まさにこの隙間を Hongi Work が埋めます。Hongi Work はパイロット導入が可能です。同僚どうしはペアリングなしで互いを確認できます。各端末は仕事用アカウントで一度だけ設定し、通話ではそれぞれが、その2台の端末だけが計算でき、30秒ごとに変わる短いコードを読み上げます。どれほど本物らしく複製された声でも、そのコードは知りません。「グループCEO」からのメッセージを受け取った会長は、知っている番号に折り返し電話をかけて約10秒で確認してから、この記事の冒頭のようなメッセージに対応できます。
Hongiは、二重承認やかけ直し確認の代わりにはなりません。そう装うつもりもありません。Hongiが埋めるのは、それらの対策が残す特定の隙間、つまり電話越しに聞こえる、よく知った声です。この仕組みを顧客や従業員に広げる方法については、組織向けページとセキュリティのページをご覧ください。
よくある質問
インテーザ・サンパオロとFideuramで何が起きたのですか? ロイターの報道によると、2026年2月、詐欺グループがWhatsAppのメッセージでインテーザ・サンパオロ(Intesa Sanpaolo)のCEOカルロ・メッシーナ氏になりすまし、AIで複製した弁護士の声で依頼を裏付けました。その結果、グループのプライベートバンキング部門Fideuramから約9500万ユーロが送金されました。
どれくらいの資金が回収されたのですか? 中国、ポルトガル、イタリアの当局の協力により、約5300万ユーロが回収されました。暗号資産に換えられた約3600万ユーロは、依然として行方がわかっていません。
Fideuramはハッキングされたのですか? システムへの侵入は報じられていません。これはソーシャルエンジニアリングです。偽のメッセージとAIで生成された声が、権限を持つ人に送金を承認させました。
企業はAI音声クローン詐欺にどう備えればよいですか? 依頼者が指定した経路で確認しないこと、自分の記録にある番号にかけ直すこと、独立した第二承認者を必須にすること、そしてクローン音声では真似できない本人確認の方法を事前に決めておくことです。
出典:ロイター「AI messaging scam costs Italy’s top bank Intesa millions, sources say」(2026年9月25日)、il Giornale「La voce clonata che ha ingannato Fideuram」(2026年9月25日)。数字は報道に基づくもので、捜査の進展により変わる可能性があります。